経験の軌跡6

康太郎の手紙から写して行きます。

もらった手紙を整理して、日にちを追って書いて行きますが、

日にちが前後したりすることがあるかもしれませんが、

お許しください。

流して読んでいただけたら、理解できると思います。

 

ここから、康太郎の手紙です。

 

 

どうも康太郎レポートパートⅡです

今の時間は9月15日金曜日午後11時です。先程父が見舞いに来ました。会社からニューヨークへの研修の話しが出ているそうです。一応10月6日までに返事をしないといけないようです。期間は3ヶ月間位で終わるそうです。僕は東京に転勤になってからの父の仕事の内容はくわしく知らないのですが、どうして40才過ぎて今になって研修が必要なのでしょうか、新入社員でもないのに、姉はもう反対しています。というのも13日の水曜日に父に急ぎの用事が有るので戻ってきたら姉が電話するようにホテルのフロントに伝言しておいたそうですが、いつもならすぐにでも電話をくれるのに、いつまでたっても電話くれないのを心配して会社に姉が勝手に電話したら病院に出かけているとの事でした。父は何も言わないのでくわしくはわからないのですが、子供ながらにも父が疲れているなあと感じずにはいられません。

5月に僕が今の病院に入院してからは週末は一度も欠かさず必ず見舞いに来ています。おそらく5月からは1日も休んでいないとおもいます。前にも疲れているのなら父に無理に見舞いに来なくての電話だけでもいいと言った事がありましたが父は聞く耳を持ちませんでした。自分で好きで見舞いに来るのだから別に気にしなくていいと言われました。姉からも人の言う事を聞く人ではないから好きにさせといたらと言っています。でも明らかに疲れているのはみえみえで僕の病気が直る前に父が倒れたらそれこそ大変な事になります。でも絶対に子供には弱さを見せない人ですから余計心配です。あの強固な性格は本当にこまったももです。別に父が僕に弱さを見せても今の父の強さがんばりは一番僕が理解しているのに、でもそんな父もちょっと行動がおかしくなってきました。いつもなら金曜日の夜に見舞いに来て帰るのは日曜日の夕方なのに9月に入ってからは来るのはいつも通り金曜日の夜ですが土曜日の夕方に用事が有ると言ってさいたまに帰ってしまいます。僕には理由がわかりませんがだんだん僕と居る事が苦痛になってきたのでしょうか淋しいです。父には父の生活が有る事といい、さいたまに帰る時間といい、父の態度を見てると父との距離が又少しずつ離れて行っている様な気がしてなりません。

2日前にずっと一緒に白血病と戦ってきた男の子が亡くなりました。14才でした。彼は僕とほぼ同じ時期に入院し、ずっと仲良くしていました。彼とは互いに同じ立場の者同士、肉親にも言えない事も、何でも言える事ができました。将来のこと、死への不安、母親の事、抗がん剤のつらさ、副作用で抜けていく髪の毛の事、すべて同人として話す事ができました。肉親には失礼かもしれませんが絶え間なく続く痛みは言葉で言っても本人じゃないと理解できない部分ですが一所懸命世話してくれる周囲の人々には弱音をはいたら失礼な事です。こんなつらい事がずっと続くのなら本当は楽になりたいと何度思う事か、彼の死は僕にとっては自分の死と同等のものであり、今どうしたらいいのかわからない状態です。話が途中で申し訳ありませんが指に力が入らなくなってきたので今回はこの編で終ります、ごめんなさい では又

 

弘美様へ                       康太郎

 

筆圧は強く書いていたのですが、

最後の何行か、指に力が入らなくなってからは、

文字も薄くなってしまいました。

この手紙を書き写すことによって、

何か生きる真実、自分の本音、そんな事を思い描いてもらえたら、

それは良いのではないかと思っています。

また、この手紙の内容の、

土曜日に帰るようになった諒さんは、私が原因だったのです。

 

Jenny♥

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