経験の軌跡15

今日も康太郎の手紙から書き始めます。

 

弘美様いかがお過ごしですか

おかげ様で術後の検査においてこの二カ月間のデータで、僕の静脈の数値はほぼ正常化してきたとの事で○○先生から手術は成功と言われました。今でも周期的に吐血やゲリ、めまい等の症状は出ますが、○○先生によればこれも正常な事で、良し悪しを繰り返して回復してゆくとの事です。

正直言って半信半疑で受けた移植手術ですが、今こうして自分の身体で痛さの違いを実感できると本当に回復しているんだなあと心より嬉しいです。前の痛さというのは身体の底から次々と絶え間なく激しい痛みが襲ってきて泣くにも泣けない状態でした。いつ取れるのかわからない痛みをガマンする事は辛いです。でも今は一時的に激しい痛みでもちょっとがんばれば次は必ず安らぎが待っているのです。つらさもガマンできます。

今も姉と話しをしたのですが、父と僕が住所を北海道から埼玉に4月に移すことは反対してないのですが、姉が一番心配しているのは僕が○○○病院に移ったときに、誰が僕の面倒をみるのかと言う事です。でもこれについてはもう父とおじいちゃんおばあちゃんで話しがついていて○○○病院は完全看護で父の会社からタクシーで15分位で行けるとの事で必要な時はいつも父が側にいてくれます。

父についてはずっと姉と話しをしています。とうより姉は僕の前では父の事しか話しません。両親が離婚した時はあんなに父を嫌っていたのに。でも僕は知っています。本当は姉が父の事を大好きな事を。今だから言える事ですが離婚する時に母は僕たちに「あなた達のお父さんは私とあなた達を裏切って他の女性と浮気をしている」と。母は他にも色々父の悪口を言いました。その時は僕も姉も全部うのみにして本当に父をにくみました。確かに物心ついた時に父と一緒に食事をした記憶はあまりありません。でも今想い出すと姉や僕の学校行事には必ず父の姿が有りました。運動会でも学芸会でも父母会でも、そこに母の姿は無かったように思います。姉に聞くと父は休みの日にはいつもどこかに僕達を連れて歩いていたそうです。姉はずっとお父さん子で、父が家にいる時は側から離れませんでした。大きくなっても前に弘美様が言っていたように夫婦の事は当人同士しか解らない事。今想うと昔のビデオにも写真にも4人そろって映っている場面はほとんど無かったのですね。父は父なりに一生懸命家族の為に、がんばって来たのは今は十分僕も姉も理解しています。ですから姉も意地を張らず父の前でもっと素直になればいいのに。

話しは変わりますがお店に父は来ていますか?というよりまちがいなく行っていますよね。父が用意したネックレスとブレスレットは気に入りましたか。あのプレゼントの品は弘美様が聞いたら、笑い話しに聞こえるかもしれませんが、去年の12月20日頃父が僕の所に見舞いに来た時におばと何やら相談していました。父に聞いたら弘美様に何かプレゼントをしたいとの事でした。せっかくニューヨークに来ているので、ティファニーという店でアクセサリーを買いたいけれど何をプレゼントしたらいいのかわからないのでわざわざおばをデンバーからニューヨークまでつれてゆき、父のデザイン画を参考に父がデッサンを決めてネックレスとブレスレットにしたそうです。

でもあの父が女性にプレゼントする姿が僕には思い浮かびません。「お兄ちゃんが女性にプレゼントするなんて考えられない。」とおばも笑っていました。それほどふだんの父からは考えられない行動です。それほど今の父にとって弘美様の存在というものはとても特別な人なんですね。そんな父の姿も僕にとってはとてもうれしい事です。好きな人の為に何かしようとする、こんな父の姿は初めて見ます。なんか微笑ましいです。あっ!それから父の命を救ってくれた小ビンは弘美様からもらった物だそうですね。何かすごい不思議な縁を感じます。だからこそ僕やおばに弘美様に対する自分の気持ちを話したんでしょうね。本当にありがとうございます。

これからまだつらい事が続くと思いますが、何よりも今までの僕と違うのは今までは出口の無いトンネルの様で先の見えない不安の中での治療でしたが、今ははっきりした目標ある治療だという事です。僕にはしなければならない事が多く出来た事です。そして何よりも楽しみなのは4月になれば弘美様に会える事です。会っていっぱいいっぱいお話しがしたいです。ずっとずっと心待ちしたいます。その為にももっともっとパワー下さいね!

では又

大好きな弘美様へ            2007,2,11        康太郎

 

 

 

P,S, 姉が父に内緒で一度北海道に帰るので手紙をあずけます。この手紙は父には内緒にしてくださいね。

 

 

諒さんから手紙をもらっていました。

あなたに嫌われているのなら、

子供にしてもらって居る事と、

別に考えることはできません。

 

と、言うような内容です。

 

私は、諒さんは好きではありません。

いや嫌いです。

義母が連れてきたお客さんであり、

病気の子供の父親と言うことです。

自分の子供と同じくらいの年齢の子供の病気、

しかもお母さんは一度も病院に行かない、

こんな切ない事があるでしょうか。

ただ、

私の母性が黙っていられなかった。

母性が働き過ぎた、

それだけの、

私だったんです。

 

その時の諒さんの手紙には、

こうも書いてありました。

去年の7月にデンバーの病院に行った時に、

康太郎は、

余命4ヶ月、

もって去年いっぱいと言われていたと、

他の家族は誰も知らないと。

移植手術をして、

どのような結果になるのか、

良くは分かりません。

その時よりは、

元気に目標に向かって、

病気と新たに戦う勇気を持った康太郎、

移植手術が成功したと言われれば、

希望は膨らむ、

それはそうですよね。

私も良くなると信じ応援しています。

良い方に向かってくれることを、

私だって、

会って励ましてあげたいけど、

あまりにも遠すぎる。

逆にその方がいいのかな?

なんて気もしてました。

相当辛いと思うんだけど、

奇跡を信じてやみませんでした。

 

Jenny♡

 

 

 

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