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  • 経験の軌跡 13

    今日も康太郎の手紙から書き始めます。

     

    弘美さん報告が遅くなって申し訳ございませんでした。米国に来てから僕も精密検査とか長時間の移動で体調を悪くしたりと色々ありまして早く報告したかったのですがようやく僕の体調も落ち着いてきました。それで3回程弘美さんに国際電話したのですがいずれも通じなかったので、一旦おじいちゃんが日本にも戻るので手紙で報告します。

    所在不明だった父ですが消息を絶った3日後にニューヨークの病院に入院しているのがわかりました。ちょうどおじいちゃんと夏子おばちゃんがニューヨークに着いたその日に父の所在がわかったそうです。連絡を受けた僕もすぐにチューヨークに向かいました。

    父の話しだと10月9日月曜日に同僚の人と食事をした後、テロ跡地のグランドゼロに一人で出かけたそうです。その途中で路地裏から日本人の呼び声が聞こえたので、路地に入って行ったら、一人の日本人が二人の黒人にからまれていたそうです。それで話しかけようとして駆け寄ったら突然父も襲われて二人共ナイフで刺されたそうです。父が助けを求めて表通りに出たところで気を失ったそうです。父が意識を戻した時にはベッドに横たわっていたそうです。病院からの話しによると丸二日間意識不明だったそうです。父は幸いにも意識が戻り重傷でしたが一命は取り止めましたが、父が助けようとした日本人の方は不幸にも病院で亡くなったそうです。また、黒人二人組にカバンを奪われた為、父の身分を明かす物が無かった為、父の意識が戻るまで病院側もどこの誰なのかわからず、その為、父の所在がわかるのに時間がかかったそうです。

    父の、傷は全治二か月位だそうです。腹と胸二か所刺されているそうです。ただ、ここでうその様な本当の話しがあります。腹の傷は深さ15㎝位でかなり深く重症ですが命には別条なく、不思議なのは胸の傷です。病院の話しでは救急車で運ばれてきた時にはスーツには腹と胸に刺した跡があるのに父の胸には刺し傷ではなく何かの固い物で押されてできたあざがあるだけだったそうです。ただYシャツの胸ポケットにガラスの破片があったそうです。その事を病院側が父に伝えたところ、父は絶句したそうです。父はニューヨークに来てからイライラしたり、ストレスが溜まっているなと感じてきたら気持ちを落ち着かせリラックスする為に胸ポケットにいつも香りのするオイルの小ビンを入れているそうです。その小ビンが盾となって偶然にもナイフのクッションになったみたいです。本当に摩訶不思議な話しです。もし父が胸ポケットに小ビンを入れていなかったらと思うとぞっとするとともにその偶然に本当に驚いています。

    ただ父が受けた精神的ショックは予想以上に父にダメージを与えているようで、精神が安定せず、僕と話しをしていても突然意味不明な事を言い出したりします。でも病院の説明だとこの症状は一時的なもので、二週間で正常に戻るそうで心配ないと言われましたが事件から一カ月位過ぎた今でも付き添っているおじいちゃんの話しでは、父にはまだ情緒不安定な所があるそうです。ちょっとした事にも必要以上に反応する」そうです。僕としては異国での出来事なのでやはり心配です。でもこうして弘美さんに報告できてまずは何よりです。

    弘美さんは人の運命をどう考えていますか?今回の事で父と無くなった方との差は何だったのでしょうか。いろいろ考えてみると僕が今、米国にいる事自体が運命なのかもしれません。僕がこうして米国で最新の治療を受けられる事自体が全くの幸運な事だと思います。○○先生のお話しでは米国にはRH-O型の血液型が多く僕の手術に必要な大量のRH-O型の血液は十分ストックされているそうです。日本ではRH-O型を集める事さえ困難だそうです。骨髄に関してもすでに僕に100%合致するHLA抗体を持った人が現在4人候補がいるそうです。今、それぞれ候補の方々を精査している段階で、一番安全な方を選別しているそうです。そして一応12月5日に移植手術の予定です。その為、僕は今体力作りに精を出しています。こちらの医療施設はすごいです。こっちに来て一カ月以上過ぎましたが、肺と腎臓に施しているレーザー法は週2回行っています、時間は1回につき30分位で、痛みはほとんどありません。この治療法は僕に合っている様で○○先生の説明では順調にガン細胞が減っているそうです。ただ抗ガン剤を変えた為、以前よりも体はダルイです。でもここの病院の設備はホテルのようでとても居心地が良く、スタッフの方々も先生も含めてみなさん楽しく親切な人ばかりです。またスタッフの中に日本人の方もいるのでコミュニケーションに関しては何一つ不自由な事はありません。付きそいの夏子おばちゃんも同じ敷地にある宿泊所をとても気に入っているみたいで良かったと思います。

    今回の事で、父の事も、僕の事も不思議な運命を感じてなりません。みなさんのパワーのおかげだと思っています。特に父に関しては普通あり得ない事です。今それが僕に重なってあり得ない事が当たり前の事のよ可能に思えてなりません。何だかとてもハッピーな気分です。来年には弘美さん達に逢える様一生懸命ガンバリますのでこれからも応援して下さいね!

    では、又、

     

    親愛なる弘美様                         康太郎

    PS 今の時間はこちらの11月12日日曜日夕方の5時です。

    手紙はこれから一旦日本に戻るおじいちゃんに渡して

    東京で出す様お願いしました。

     

     

    速達で送ってもらいました。

     

     

    まさかニューヨークで諒さんが刺されているとは、

    現実味がない、本当の話しです。

    人間はいつ何が起こるか、本当に分かりませんね。

     

    摩訶不思議な、ビンの破片の話しをしておきましょう。

    それは、疲れているような諒さんに、

    私がプレゼントしたものです。

    さすがに、子供には言わなかったのでしょう。

    諒さんに後で聞きましたが、

    腹は立っている時に刺され、

    胸は、道に倒れて仰向けになった時、

    ナイフを下向きに持ち直して、

    思いっきり刺したそうです。

    なので、エッセンシャルオイルのビンだとも、

    気が付かないほどに、細かくなっていたんだと思います。

    まさか、まさかの連続です。

    現実の話しなのか、でも、人の運命は、

    だれも予測なんて

    出来ないのではないでしょうか。

     

    Jenny♡

     

    ★ランチ寝ころび座談会

    こちらからご覧ください。

     

     

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  • 救急車

    救急車、ほんとはお世話になりたくはないですね。

    でも緊急の時は、やはりお世話になるのが一番です。

     

    躊躇せずに119掛けて下さいね。

     

    私は、救急車に初めて乗ったのは、下の子が4歳の時でした。

    上の子は、救急車に乗った経験はありません。

     

    大宮(旧大宮市、現さいたま市)の三橋公園と言うところに、

    リトルカブの後ろに子供を乗せて、遊びに行ったんです。

    それはそれは、熱い夏の日でした。

     

    そこはアソレチックがあるので、遊ぶのにいいかなぁ!と行ったんです。

     

    そう、たくさん遊び、

    お弁当を食べて、

    それから、

    噴水のある水場に行って遊んで、

    くるぶし位の深さだったんです。

    足元が冷えたので、変化が起きたみたいです。

     

    そこに入って上がったら吐いてしまい、

    そこはプールのある公園でしたので、

    管理の人がいたので、

    近くに居た人が声を掛けてくれて、

    しかもシートマットを差し出してくれて横にならせてくれました。

    すぐに救急車を呼んでくれました。

     

    たまたま、プールに看護士さんも居て、直ぐに出て来てくれて、

    脈拍、熱を測ってくれました。

     

    なんと熱は、39度を超えていました。

     

    何?

    ご飯も食べて、遊んで、

    そう、この下の息子、熱に強いんです、、、、、。

     

    救急で運ばれた、さいたま赤十字病院で、

    検査をして、病名もなくホッとしたんです。

     

    熱が、

    そう、

    風邪だったのかもしれません。

     

    その後に、脳波の検査も受けに行きましたが、

    特に異常もなく、今も健康にしています。

     

     

    PS リトルカブは50ccなんですが、バイク屋さんで小型登録にしてもらい2人乗り可能だったんです。

    この下の子太っちょで、自転車の二人乗りがキツかったんです。

    いつも嬉しい顔をして後ろに乗ってくれていたんです。

     

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  • 生バラちんな息子

    って題名、分かりにくいですよね。

    昔ってね。

    その昔って言うのは、

    そう、30年以上前は、行方不明の人の家族がテレビに出て、

    目撃情報とかを求めて、一般の人の情報を募って、探してもらう番組があったの。

    当時は、情報の少ない時代だったから、公開で探してもらう形。

     

    その後は、テレビ局に探してもらう依頼をして、

    テレビ局で探してもらって、結果を放送する、ご対面番組みたいになって行ったの。

    この番組は、家族だけでなく、恩師や友達なんかも探してくれた。

     

     

    もちろん、相手が会いたがらない場合もあるし、見つからない場合もある。

    この番組が、バラちん人生?なんだ、番組名を忘れてしまったわ。

    ごめんなさい。アナウンサーの徳光さんとかが出演していた番組だったの。

     

    ここまでだと、何の話しか分かりませんよね。

     

    そう、下の息子は1歳の時に私が離婚してから、

    お父さんには会ったことがなかったの。

    それがなんと、子供が17歳の時に、

    別れた元夫が飲みに来ると言うではありませんか、、、

    断る理由もないので、どうぞと、来た訳ですね。

     

    そう、その日は他に誰もお客さんは居ませんでした。

    そうしたら、バイトから帰った息子が夕飯を取りに店に来た訳ですね。

    厨房と客席はカーテンで仕切って見えないようになっているんですが、

    はてさて、どうしましょ。

     

    距離はカーテンを隔てて3m。

    こりゃあ言うしかないでしょ。

    なんて?どうする?

    しょうがない、酔いにも任せて私は言った。

     

    「竜ちゃん、サプライズ、お父さんだよ」

    と言って、カーテンを引きました。

     

    そこからが、ご対面で、

    お父さんは、「悪かったな」

    竜ちゃんは、言葉にならずに肩を大きく上下に揺らしてポロポロと泣いています。

    お父さんも、涙を流しています。

     

    少し落ち着いて、話し始めましたが、

    ちょっと落ち着いたら、ちょっとおこずかいかなんかもらって、

    お父さんは帰って行ったのです。

     

    それからお父さんから連絡でもあれば違かったのかもしれない。

    また会いたいとか、連絡は無かった。

    確か再婚していたからかな?

     

    そう、それから会った事はないんです。

    しかも竜ちゃんは、

    「一回会ったからいいや」じゃんじゃんです。

     

    その話しを、甥っ子にしたら、爆笑しながら、

    「生バラちんじゃん」だって、笑。

    テレビじゃないからね。

    みんな大笑いですわ。

     

    私ね、この竜ちゃんに暗示かけてたかもしれない。

    「竜ちゃん、親が居ないのと、不良になるのって関係あると思う?」

    「んー、ない」

    他に暗示はたくさんあるんだけど、

    代表例は、

    竜ちゃんが「お腹痛い」と言えば、

    私は「う◯こすれば治るよ」

    それで解決。

     

    小学生の時から言ってたと思う。

    こんな感じでしたので、今みたいに育ったのかなぁ。

     

    元々その気、不良とか関係ない、のんびり穏やかな子なんです。

     

    て言う訳で、感動の親子の再会すら、

    人生の一コマと受け止め、

    明るく笑いネタで行けるような人生は、あなたにも出来ますよ。

     

    何か起こっても、時間経ったら、笑って生きるのが、いい♡

    あるがままで居られる事を、お伝えして行きたいです。

     

    Jenny❤︎

     

     

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  • 私が楽しく出来た事〜お弁当作り

    下の子が小さい時に作ったお弁当です。

     

    下の子が小学生の低学年の時に、徒歩遠足なるものがありまして、

    その時の写真ですので、かれこれ20年近く前。

     

    この下の子が産まれた時に、写真を撮ってあげたいと、

    キャノンのiosと言う、一眼レフのカメラを買いました。

    今よりも、重く重く、しかも使い方は分からない、汗。

    焦点を合わせる事は出来ても、後は自動のまま。

    光を取り込まないと、シャッターが押せなくなったりしていました。

    解決策は、分からない。

    と言うのに買ってしまったカメラで撮りました。

     

    なので、室内やら、室外やら、

    色んなところにお弁当を置いて撮りました。

    このお弁当だけでなく、上の子のお弁当も、

    毎日にように撮っていたからです。

    上の子のお弁当を撮りだしたのは、高校に上がってから、

    中学はお給食があったから、部活の時ぐらいの、週末がお弁当だったから。

    その、上の子の最初のお弁当を撮ったら、何故か火がついた、笑。

    撮影にね。

     

    それから、楽しくて楽しくて仕方がなかった。

    お弁当作りも撮影も。

     

    だいぶ横道に逸れましたが、そう、これキャラ弁です。

    上はボンバーマン、白い食パンと黒い食パン。

    今はこの黒い食パンは、マーケットでは見ないです。

    今、思うと、ありがたき黒食パンさまさまです。

    眉毛と目は海苔で作りました。

    下のはピカチュウの卵焼き。

    そう考えるとピカチュウは長い人気ですね。

    飛行機にも描かれたりしているし。

    こう書きながら、懐かしく思い出しだすけで、

    子供の漫画なんか、覚えてなかったわ、あらら、笑。

     

    そう、本題です。

    子供が、お弁当を開けた時の顔を思いながら作るのが大好きで、

    ついつい、これがいー!なんてやっちまうのです。

     

    食べるのって楽しいし、笑顔になるもんね。

    そう、こんな楽しい事出来るのは、親の特権!

    なんて思いながら作ってました。

     

    お弁当に限らず、楽しい事するの大好き。

     

    Jenny❤︎

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